1974 | 香川県丸亀市に生まれる |
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2000 | 岩手医科大学歯学部卒 |
2009 | やまぐち歯科を開業 |
2021 | 医療法人社団HUNDRED 法人化 |
1974年に香川県で生まれ、大学生になるまで丸亀市で育ちました。
やりたいことはなんでもやらせてくれる恵まれた環境で育ちました。
性格は割と社交的で何にでも興味を示し、幼稚園のお遊戯会ではセンターを、小学校では児童会の副会長など常に目立ちたがり屋でした。
その反面長続きする性格ではなく、なんでも直ぐに飽きてしまう熱し易く冷め易いタイプでした(それは今も変わりませんが)。
将来の夢は低学年では野球選手、高学年ではお医者さんに変わっていました。今思えば両親の期待が夢に変わっていたのかもしれません。
何かになりたいと思うことなくただ時間が過ぎていく中、両親の「これからの時代、国家資格がものをいう」考えのもと兄2人とも歯科・医科の道を進み、私もそのレールに自然と乗っていました。
ですので自分としては特別医療、歯科に強い思いがない状態で学校からの推薦を頂き、岩手医科大学歯学部に入学しました。
「みんなのお役に立てる素晴らしい歯医者になるぞ!」そんな思いは全くなく(笑)無目的無目標で入学したため、勉強への意欲も湧かず気がつけば朝から朝まで遊び続ける毎日を過ごしていました。
結果2年生で留年も経験しました。
そんな自分が歯医者になると決めるきっかけとなった転機が2つありました。
1つは、2年生のときアトピー性皮膚炎で1ヶ月入院したことです。
不規則な生活が祟ったのでしょう、身体中から炎症が起こり、毎日全身に包帯を巻いて授業を受けていました。
ある日、それが原因で中耳炎になり病院に行くと「今直ぐ入院して」と言われ緊急入院し、「あと一ヶ月入院が遅かったら命が危なかった」と医師に言われたほど症状が重く、健康であることの重要さを実感した出来事でした。
もう一つは、大学5年生のときの患者様との出会いです。
その方は50歳前後の女性で、どこの歯科医院に行っても「抜きましょう」と言われるばかりのボロボロの口腔内状態でしたが、「なんとか今ある歯を残したい」という強い希望から、大学病院にやってきました。
その希望になんとか答えようと、担当の先生はできる限りの処置を施しました。
結果として、1年後には歯が全て抜け総入れ歯になりましたが、「この1年間、自分の歯で美味しく食事ができて本当に良かったです、ありがとうございます。」と言ってくださったことを今でも鮮明に覚えています。
その言葉を頂いたことで歯があることの大切さを知り、歯を残す職業に就きたいと心から思いました。この思いがやまぐち歯科の理念に繋がっています。
卒業後は歯周病科で「歯を残すこと・予防の重要さ」を学び、5年間同門の諸先輩方からたくさんのご指導をいただきながら日々研鑽を積んでまいりました。
長男の出産を機に大学を離れ、静岡の妻の実家でたくさんの患者様の力になれることに喜びを感じていました。
その1年後歯周病科の准教授(当時の助教授)から「滋賀県で分院長を探しているのでやってみないか?」と言われ、全く知らない土地に色々と葛藤はありましたが、「香川と静岡の間だし、いいかな?」と変な納得感で滋賀にやってきました。
いざ分院長になると、毎日が本当に大変でした。特に頭を悩ませたのが経営でした。
今までは大学や勤務医として診療だけに専念していればよかったのですが、「どうやったら売上を上げられるか?」と経営の勉強をしたことのなかった私はいつもそればかり考えていました。
保険診療は傷病名という病名をつけ(虫歯や歯周病など)歯を削ったり治療することで保険に請求します。
今までだったら削らず様子を見ていた小さい虫歯も、心を痛めながらも「これが経営なんだ」と自分に言い聞かせ、日々治療していました。
帰る時間が遅くなり、妻にも心配され家事や育児も全く手伝えず、自分中心で本当に迷惑ばかりかけていました。
当時の私は本当に勉強不足で、「歯を残すことを大切にしたい」「医院の経営のために売上を上げたい」そのギャップに悩み続けました。
「本当に私が求めている歯科医院とは?」
この質問を何度も何度も自分に投げかけ、分院長になって3年後、開業しようと思い立ちました。
この3年間は本当にたくさんのことを学ばせていただき、自分の器を拡張させてくださった皆様には本当に感謝しかありません。
分院長時代からこの地域は人口も増加傾向にあり発展している土地でしたが、予防よりも歯を削って治療している方が多く、正直まだまだデンタルIQが高い地域とはいえませんでした。
一人でも多く歯を残すことの大切さ・自分の歯で美味しく食事ができることが幸せであることを伝えたい!
そしてこの南草津に「予防」という考え方を根付かせたいという思いから開業の地をここに決めました。
おかげさまで、少しずつではありますが「予防」の考え方が地域に定着し、今では多くの方にメンテナンスに通っていただけるようになりました。
これもひとえに、私の考え方に共感して下さった来院者の皆様、私を支えてくれるスタッフ、仲間、そして家族と最愛の妻のおかげです。
歯医者は痛い時に行くところではなく、ご自身の大切な歯を守りにいくところなんだ!とさらに力強くメッセージして参ります。
『健康が全てではないが、健康を失うと全てを失う』(青木仁志)
健口は健康・健幸の入り口です。
これからもやまぐち歯科は地域の皆様の健口(健康・健幸)を守り育てる歯科医院を理念に、健口(健康・健幸)寿命100歳サポートを来院者の皆様、スタッフと共に築き上げ、共に物心両面の豊かな人生を歩み続けるパートナーとして成長貢献して参る所存ですので、何卒ご愛好の程よろしくお願い申し上げます。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございました、感謝いたします!