医院ヒストリー

院長:山口 靖彦
皆様こんにちは、やまぐち歯科の山口です。本日は皆様にもっとやまぐち歯科のことを知って頂こうと、私の生い立ちからやまぐち歯科の成り立ちまでをお話しさせていただきます。
拙い文章で恐縮ですが最後までお付き合い頂けると幸いです。

院長の生い立ち
1974年4月に香川県善通寺市の病院で生まれ大学生になるまで丸亀市で育ちました。家族は自営業の父と専業主婦の母、10歳と6歳離れた兄、8歳年下の妹の4人兄弟です。父母からたくさんの愛情を受け、やりたいことはなんでもやらせてくれる恵まれた環境で育ちました。
性格は割と社交的で何にでも興味を示し、幼稚園のお遊戯会ではセンターを、小学校では児童会の副会長など常に目立ちたがり屋でした。その反面長続きする性格ではなく、なんでも直ぐに飽きてしまう熱し易く冷め易いタイプでした(それは今も変わりませんが)。
将来の夢は低学年では野球選手、高学年ではお医者さんに変わっていました。
今思えば両親の期待が夢に変わっていたのかもしれません
そして地元の中学校、高校と特に何かに秀でた訳でもなく、何かになりたい、何かをやってみたいと思うことなくただ時間が過ぎていく中、
いよいよ進路を決める時期になりました。
両親は「これからの時代、国家資格がものをいう」考えのもと兄2人とも歯科、医科の道を進みました。
それにもれずやりたいことがなかった私もそのレールに自然と乗っていた感じでした。
ですので自分としては特別医療、歯科に強い思いがない状態で学校からの推薦を頂き、岩手医科大学歯学部に入学しました。
「みんなのお役に立てる素晴らしい歯医者になるぞ!」そんな思いは全くなく(笑)
無目的無目標で入学したため、勉強への意欲も湧かず気がつけば朝から朝まで遊び続ける毎日を過ごしていました。
結果2年生で留年も経験しました。
なぜ歯科医師になったのか~人生の転機
そんな自分が歯医者になると決めるきっかけとなった転機が2つありました。
1つは、2年生のときアトピー性皮膚炎で1ヶ月入院したことです。不規則な生活が祟ったのでしょう。
身体中から炎症が起こり、毎日全身に包帯を巻いて授業を受けていました。
ある日、それが原因で中耳炎になり病院に行くと今直ぐ入院して下さいと緊急入院をしました。
「あと一ヶ月入院が遅かったら命が危なかった」と医師に言われたほど症状が重く、健康であることの重要さを実感した出来事でした。
もう一つは、5年生のときの患者様との出会いです。
その方は50歳前後の女性で、どこの歯科医院に行っても「抜きましょう」と言われるばかりのボロボロの口腔内状態でしたが、その方の「なんとか今ある歯を残したい」という強い希望から、大学病院にやってきました。
その希望になんとか答えようと、担当の先生はできる限りの処置を施しました。
結果として、1年後には歯が全て抜け総入れ歯になりましたが、
「この1年間、自分の歯で美味しく食事ができて本当に良かったです、ありがとうございます。」
と言ってくださったことを今でも鮮明に覚えています。
その言葉を頂いたことで歯があることの大切さを知り、歯を残す職業に就きたいと心から思いました。
この思いがやまぐち歯科の理念に繋がっています。
開業までの歩み
卒業後は歯周病科で「歯を残すこと・予防の重要さ」を学び、5年間同門の諸先輩方からたくさんのご指導をいただきながら日々研鑽を積んでまいりました。
長男の出産を機に大学を離れ、静岡の妻の実家でたくさんの患者様の力になれることに喜びを感じていました。
その1年後歯周病科の准教授(当時の助教授)から滋賀県で分院長を探しているのでやってみないか?と言われ、全く知らない土地に色々と葛藤はありましたが、「香川と静岡の間だし、いいかな?」と変な納得感で滋賀にやってきました。
いざ分院長になると、毎日が本当に大変でした。特に頭を悩ませたのが経営でした。
今までは大学や勤務医として診療だけに専念していればよかったのですが、
「医院を繁栄させるために自分は招かれた。どうやったら売り上げを上げることが出来るのか?」
経営の勉強をしたことのなかった私はいつもそればかり考えていて、気がつけば毎日診療が終わっても帰る時間が遅くなり、妻にも心配され家事や育児も全く手伝えず、自分中心で本当に迷惑ばかりかけていました。
保険診療は傷病名という病名をつけ(虫歯や歯周病など)歯を削ったり治療することで保険に請求します。
なので今までだったら削らず様子を見ていた小さい虫歯も、心を痛めながらも「これが経営なんだ」と自分に言い聞かせ、日々治療していました。
当時の私は本当に勉強不足ということもあり、
「大学では歯を残すことを大切にしていてそれを守りたかった」「医院を繁栄させることが私の使命」そのギャップに悩み続けました。
「本当に私が求めている歯科医院とは?」この質問を何度も何度も自分に投げかけ
そして分院長になって3年後、開業しようと思い立ちました。
この3年間は本当にたくさんのことを学ばせていただき、自分の器を拡張させてくださった皆様には本当に感謝しかありません。
滋賀県草津市を選んだ理由
分院長時代からこの地域は予防よりも歯を削って治療している方が多く、街自体は人口も増加傾向にあり発展している土地でしたが、
正直まだまだデンタルIQが高い地域とはいえませんでした。
一人でも多く歯を残すことの大切さ・自分の歯で美味しく食事ができることが幸せであることを伝えたい、力になりたい!
そしてこの南草津に「予防」という考え方を根付かせたいという思いから開業の地をここに決めました。
おかげさまで、少しづつではありますが「予防」の考え方が地域に定着し、今では多くの方にメンテナンスに通っていただけるようになりました。
これもひとえに、私の考え方に共感して下さった来院者の皆様、私を支えてくれるスタッフ、仲間、そして家族と最愛の妻のおかげです。
もっともっと歯医者は痛い時に行くところではなく、ご自身の大切な歯を守りにいくところなんだ!
とさらに力強くメッセージして参ります。
健康が全てではないが、健康を失うと全てを失う(青木仁志)
健口は健康・健幸の入り口これからもやまぐち歯科は地域の皆様の健口(健康・健幸)を守り育てる歯科医院を理念に、健口(健康・健幸)寿命100歳サポートを来院者の皆様、スタッフと共に築き上げ、共に物心両面の豊かな人生を歩み続けるパートナーとして成長貢献して参る所存ですので、何卒ご愛好の程よろしくお願い申し上げます。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございました、感謝いたします!
医療法人社団HUNDRED
理事長 山口 靖彦